涙月花日和 #12 【神様の影を恐れてます】




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涙月花日和 #12


涙組 一樹役:稲永リク @mztmr_riku

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ども〜稲永です!


アホみたいに風邪をこじらせまして。

咳は出ないのですが、熱が38度あって関節が痛いっす…。

インフルでないのを祈るばかり。


なので、涙月花日和のラジオの方は、過去に撮影したお蔵入りバージョンを置いておくことにします。

音ズレが激しいため、こんなバカみたいなことやってんだと、ご容赦いただければと思います。



 そんなこんなで、今日は文章を多めに書きたいと思います。



 芝居に必要な能力について、考えていることを話したいなと思います。

 とはいえ、かなり幅が広く、大きく括ってしまえば教養と常識がベースにはなると思いますが、鍛えるべき能力には大きく分けて2つ。


・発散力:外側に向けた表現

>あらゆる表現を可能にする身体性や、声を届けるための声量など

・吸収力:内側に向けた思考

>自分だったらどうであろうかという共感性や、何を伝えるべきかという論理力


なのかなと思っています。

 しかし、有体に言ってしまえば、下手くそほど表面だけで受け取りがちだなと思うのです。

 舞台上でのみ、それらを意識してしまいがちだと思います。いい声を出そうとか、そういうようなところも大事なのですが、それだけではない。


 外側に向けた表現力とは、舞台上での表現力だけでなく、自分の思考を演出や共演者に伝えることができるところまで。

 内側に向けた思考力とは、周囲がどのような特性があって、どういうふうに思考しているのかを思いやるところまで。


あらゆる瞬間にまでこのループを張り巡らせることが大切になる。

というのが持論です。


 物理的に舞台と言っているわけではないのですが、お芝居を見に行ったときには、舞台に携わるあらゆるもの、広報物であったり、受付であったり、待機時間のスタッフの動き、パンフレットの中の主宰の言葉、外から聞こえてくる音、前説、カーテンコール、客ハケまでの全てを舞台の一部だとして見てしまいます。

 なので、なんとなく、僕は、舞台が終わると秒で帰ってしまいます。


 鍛えるためには、もう人とコミュニケーションを取り続けるしかなくて、本を読んだり、体を動かしたり、発散と吸収を超ハイスピードに行う人が、やはり魅力的な役者になりうるのだと思います。

 耳が痛い話です。



そうした学びの原動力には『こだわり』が必要だと思っていて、辞書で調べると、


こだわ・る こだはる [3]

( 動ラ五[四] )

①心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。拘泥する。

②普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。

【三省堂 大辞林 第3版より引用】


要するに、なにか好きなことを徹底的にやることを『こだわる』ものだということで、このこだわる対象は、各々のそれぞれで良いのだと思います。


・孤独をどうしても表現したい

・この世界を伝えたい

・自分のこの動きがどうしても好きで、伝えたい。

などなど。


自分自身が何者かわからない、やりたいことがなくて。

芝居を始めるときに、そんなきっかけの人は多いですが、しかし続けていく人には何かしらのこだわりがあろうと思います。



そもそもお芝居は、コスパが悪いものです。

というよりも表現自体、コスパが悪い。


誤解を承知で言わせてもらえば、ひたすらに働き続けていたほうが確率的に裕福になれるとは思います。

しかし、イコール幸福というわけでも、どうやらなさそうです。



『無敵の人』という言葉を御存知でしょうか。

詳細の定義自体はリンク先を見てほしいなと思うのですが、僕はこの言葉を知った時、心だか、お腹だか、自分の奥底の大事なところが、ヒュと冷えたことを覚えています。


お金を稼いでも、いい学校に行っても、いい職についても、果たして幸福であるとは言い難い。

でも、僕は生まれた以上、幸福に有りたいし、隣りにいてくれる家族や友人や恋人を幸せにしたいと思います。



僕の目指すものは『幸せになる』ことで、

こだわるべきことは『笑顔になってもらう』ことで、

そのために表現として『芝居』を選択して、

鍛えるべきことは『自分の中の”面白い”の探求』と『チームで勝つための立ち回り』です。



芝居に限った自分のプログラムにザバっと素潜りをしてみました。

他のものに対しては、また別のプログラムが組まれています。


芝居の上手い人は、そのそれらが鮮明で、かつ、実行に移し続け、

一度考えたこのプログラムに自信と疑問を持ち続け、何度も何度も素潜りをする人だと考えています。


僕が魅力的だと思う人は、やはりこうした思考を持ち続けているひとが多いなと思います。

いわゆる『イケメン』『声がいい』『涙が出せる』のようなものは、結局、アンパンの薄皮のようなもので、剥ぎ取られていったときに、残る内側が最も重要になると考えます。無論、どちらも大事なのですが。


『どんな人間も、皮を剥げばただの肉。焼いてしまえばただの骨。』

現代文の恩師からもらった言葉です。


心に届く芝居・表現をする人は、薄っぺらい薄皮だけでなく、内外を両立した人だなと何度も噛みしめるように思うのです。


何度かそうした『こだわり』を発狂するほどに伝えてきた芝居に出会ったことがあります。

それは、僕自身が作り出したお芝居も、その中の一つです。


もちろん、必ずしも完璧に整った環境が用意されているわけではない。

しかし、案外その壁を越えようとした努力は見て取れるようです。


過程を重んじるわけではなく、最終的に、誰かに届けるものを重んじて、ひたすらにこだわり、伝えることが、僕ら”ものづくり人”がすべきことだと思います。




何喋ってんだかな。

風邪っぴきの世迷い言とお思いください。


昨晩、熱にうなされて、悪寒でうなされていたのですが、

ある友人の顔が浮かびました。


意外なところもあったのですが、これまた意外なことに少し落ち着いて、なんとか眠ることができました。


どうやらやはり、僕は一人では生きられないようです。


先程のプログラムの件ですが、そのもっと根本のところに、実は逆説的な欲望があって、僕は臆病さがあるのではないだろうかと考えています。

不意に、真っ暗な部屋の中に、子供の頃の自分が泣いてうずくまっているようなイメージが湧くことがあります。


僕の場合の臆病さは、忘れ去られることで、一人でいることが、どうにも怖い。

しかしこの臆病さも受け入れて力にしてしまえるようで。


僕は、やはり、みんなで勝ち上がりたいなと、思いました。



稲永を、なにとぞ丸。

(風邪をどんどんこじらせています。明日はラジオなしなのかもしれませんが、文章だけでも続けていければと思います。これも、僕の中のこだわりで臆病によるものなのですが。)


不定期更新です。

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BGM :魔王魂 https://maoudamashii.jokersounds.com/

PHOTO:かなさん @Mkana_photo

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